第3回 田中清隆弁護士

2024年4月24日

(事務局)田中清隆先生、本日はお忙しい中、お時間をいただきまして、ありがとうございます。

読者の皆様にご紹介いたしますと、田中先生は長らく暴力団を含む反社会的勢力と戦っていらっしゃる弁護士の方です。組織犯罪対策法の制定や住専問題の際には、国会で与党参考人として法案への意見を述べ、政府からも高い信頼を受けている先生です。

田中先生、本日はどうぞよろしくお願いいたします。

(田中先生)よろしくお願いいたします。

(事務局)まず先生が一体どのようなきっかけで暴力団対策に取り組むようになったのか、その経緯について教えていただくことは可能でしょうか。

(田中先生)暴力団対策については、1970年代のサラ金(*1)の問題が出発点になっています。サラ金の取立ては、今の時代なら警察に言えばいいかもしれませんが、当時は民事不介入の原則があり、警察はサラ金の問題に介入できないと言って、弁護士に相談の電話がかかってきました。

*1:サラリーマン金融とは、「サラリーマン金融」の略であり、消費者向けの貸金のサービスのことである。サラ金の中には、違法な高金利で貸したり、脅迫する等の違法な取立てを行う「ヤミ金融」もありました。

警察がサラ金に手を出せずにおり、経済の発展と相まって、暴力団的に取立するサラ金が普及し、被害が拡大していました。サラ金自体を暴力団が経営するケースも多かったですし、暴力団以外の者が経営をしていても、取立てを暴力団員が担うケースも多かったのです。

名古屋も駅周辺にサラ金の事務所がたくさんあり、いたる所でサラ金の取立てに追い詰められている人たちがいらして、「助けてくれ」と私の所に連絡が入ってきました。特に私の住んでいた名古屋市港区は、私以外に弁護士がいなかったので、しょっちゅう「今、サラ金が来て、ワーワー言うとる。助けてくれ。」という電話がかかってきました。

平日の深夜、休日にも、応じきれない程の相談申込があり、その多くは、ご近所さんであったり、学生時代の同級生など地域のつながりもあったため放置できず、現場へ向かわざるをえませんでした。取立てが集中する年末などは、晩ご飯もままならぬ日々が続いたこともありました。

我が家に突然脅しの電話が入り、妻が恐怖の余り泣き潰れていたこともありました。

日本刀で切りかかられそうになったこともありますし、一晩中大勢のヤクザに取り囲まれて組事務所に監禁されたり、ヤクザの脅威にさらされることは、いつものことでした。

そして何より、弁護士のところに藁(ワラ)をもすがる思いで来ていた相談者がサラ金の苛烈(かれつ)な取り立てで1年に4人自殺したことで、私自身も精神的にまいってしまった時期もありました。

(事務局)先生に相談した相談者の中から1年に4人も自殺なさったのですね。

(田中先生)最後の砦である弁護士が止められない、本当に辛い思いでした。この時の気持ちが、暴力団、反社会的勢力対策に今も力を入れる原動力となっています。

サラ金問題については、1991年に貸金業法が改正され、上限金利や取立禁止行為等が定められ、警察の取締も強化されました。これらを受けて暴力団によるサラ金問題が沈静化の方向に向かい、一定の目途がつきました。同時に、暴力団によるサラ金以外の資金獲得活動への対策が、更なる課題として浮かび上がっていました。

そこで弁護士会として、サラ金問題は消費者委員会に任せ、これとは別に本格的な暴力団対策に取り組む必要から、サラ金以外の暴力団固有の被害救済と防止、暴力団取締を目指す、民事介入暴力対策員会(以下、「民暴委員会」)を設置することとなりました。私はこうした流れのなかで、愛知県弁護士会と日本弁護士連合会(以下、「日弁連」)の民暴委員会に関わることとなりました。

(事務局)当時(1970年から1990年)の暴力団はどのようなものだったのでしょうか。

(田中先生)私が弁護士になった1970年頃の暴力団は、高利債権暴力取立、交通事故、男女問題、事業間トラブル、倒産処理等の事件介入、執行妨害など実にさまざまな分野で、市民活動に介入していました。

その特徴は、ともかく暴力団としての脅威をみせつけること、例えば入れ墨、坊主頭、サングラス、派手な服装、激しい口ぶり、一目で暴力団と分かる姿形でした。そしてその関わり方は、自己都合の一本槍であり、法の定めや常識的なルールを全く無視したものでした。

(事務局)海外のマフィアと比較してどうでしょうか。

(田中先生)1992年に日弁連民暴委員会でイタリア視察に行きました。イタリアの日本大使館では、金髙 雅仁氏(*2)が警察庁からの出向者として在籍しており、金高氏の手配で、マフィア撲滅の活動を推進したファルコーネ判事など、色々な方のお話を伺う機会に恵まれました。

* 2:金髙氏は、その後、2015年に警察庁長官に就任なさりました。

(田中先生)当時イタリアのマフィアは、日本の暴力団より正規の構成員数こそ遥かに少なかったですが、集団としての秘密性が極めて濃く、組織構造も人員も不透明であり、企業や政治家などを大量に取り込んでいて、活動規模や収益はマフィアの方が日本の暴力団より圧倒的に大きかったですし、国を超えた活動も活発にし、アメリカにも進出していました。

そして、マフィアの特徴はというと、公権力に対する激しい対抗です。マフィア対策を先導する検事や判事、警察を繰り返し攻撃し殺害していました。私たちが視察を終えて、日本に帰った約1か月後、イタリアで私たちに説明・指導してくださったファルコーネ判事が爆弾で殺害されたこと(*3)が報じられ、信じられない想いでした。

*3:このパレルモでの爆殺事件をきっかけに組織犯罪防止条約(パレルモ条約)が2000年にパレルモで締結されました。今も組織犯罪対策の基盤となっています。

(田中先生)一方、日本はというと、暴力団は敵対する暴力団を襲撃することは普通のことですが、警察、検察、裁判所などの公権力に対しては比較的従順であり、この点がマフィアと異なっていた所だと思います。秘密性もマフィア程高くなく、街中に堂々と事務所を構えていました。それに、イタリアのマフィアは、賄賂等を通じた、政治家の取り込みにも、日本の暴力団より積極的でした。

(事務局)1991年に暴力団対策法が制定されました。先生の目からご覧になって、暴力団の活動や資金源は、1990年以降どのように変化しましたか。

(田中先生)サラ金問題が沈静化し、大きく問題として浮かび上がったのは、サラ金で莫大な利益を得た、暴力団の狂暴化と普遍化でした。

(事務局)普遍化というのは。

(田中先生)暴力団の資金源は、みかじめ料、用心棒代、覚醒剤や各種薬物取引、風俗、売春、恐喝、のみ行為、賭博、地上げ、不動産執行への介入、そして総会屋や違法な株取引等にも関与しており、社会のあらゆる場面で違法な行為を行っていくようになりました。

(事務局)ええ。

(田中先生)その後、数々の暴力団に対する法改正がなされ、暴力団の資金源もかなり影響を受けたと思われます。そして、「脅し」から「騙し」へと変容し、犯罪が潜在化する傾向があると感じております。

(事務局)弁護士と警察の関係はどのような関係だったのでしょうか。

(田中先生)日弁連では警察との対話が重要であると認識しており、日弁連と警察庁で対話の機会を定期的に持ちました。当初の会合では、双方ともにテープレコーダー持参の雰囲気でのやり取りでしたが、対話を重ねることで双方に理解や歩み寄りが出てきたのは確かです。また、当時サラ金で自殺者が相次いでいるのに警察が動かないことが社会問題になっていることも相まって、結果として、警察側の民事不介入の原則の方針が変わり、今ではヤミ金のケースなども警察が介入してくれるようになりました。

(事務局)警察との距離が近くなったと。民暴の先生方と警察との間に信頼関係ができてきたということでしょうか。

(田中先生)警察との信頼関係構築においては、昭和静岡県浜松市の一力一家(いちりきいっか)という山口組傘下の暴力団を巡る事件が節目となりました。

この事件では、暴力団を脅威に感じた住民が、1986年に、撤去を求めるデモ行進などを行うなどして、その事務所の撤去を求める運動をおこしました。

暴力団側は、住民側の弁護団長の弁護士を刃物により攻撃し、瀕死の重症を負わせたり、住民をナイスで刺して重傷を負わせるなどの攻撃を行いました。

しかし、住民側は、これらの攻撃に屈することなく、事務所の撤去を求める仮処分、さらに本訴をおこし、これに全国から弁護士300人が加わり、事務所撤去の実現という勝利を得ることができました。

裁判で勝ったというだけでなく、弁護士と警察の間の信頼関係を確立できたという意味でとても成果の大きい事件でした。

(事務局)弁護士と警察の信頼関係の確立以前はどうだったのでしょうか。

(田中先生)それまでは、警察は弁護士を「金儲け目的の腰抜け」と、弁護士は警察を「本気でなく、上面だけの取り締まり」と互いに不信の目で見ていたように思うのですが、この事件では、弁護士側も重傷者が出たにも関わらず最後まで戦い続け、警察も全国から常時2000名の警察官を派遣して全力で被害防止に努め、警察庁長官までが何度も現地を訪問して激励を繰り返したのです。

これを機会に、弁護士と警察の双方の信頼関係が確立され、その後の民暴活動の大きな力となったのです。そして、このことが、その後の暴対法(*4)や、組織犯罪対策三法(*5)などの本格的な組織犯罪対策立法にもつながったと思われます。

*4:「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」を指します。

*5:「組織的犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」(組織犯罪処罰法)、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(通信傍受法)、刑事訴訟法の一部を改正する法律(証人尋問の制限等)の3つの法律を指します。

(事務局)ファルコーネ判事の爆殺や、一力一家事件などもあって、日本でも、組織犯罪対策三法が1999年に可決されました。日弁連は、全体としては、組織犯罪対策法に反対でしたが、暴力団対策委員会の委員長でいらした先生は、この法案に賛成する趣旨の参考人意見を国会で述べられました(*6)。様々な勢力が同法に反対する中で、賛成するというのは怖くはなかったのでしょうか?

*6:田中先生による国会での参考人としての発言の内容については、本インタビュー末尾に引用しています。

(田中先生)正直なところ、怖いと思う余裕は、ほとんどありませんでした。もちろん、一部の弁護士からは激しい反発を受けたこともありましたが、これに対応している暇は無かったという感じです。

日弁連ないし多くの弁護士の通常の人権感覚からすると、サラ金や、暴力団の暴力の実情に対して課する様々の制約は、時には過剰な制約に見えることは確かだったかもしれませんが、現実の暴力団による過酷な被害を目前にするとき、多少はやむを得ないと言わざるを得ませんでした。

そこに、多くの弁護士と、民暴弁護士の間に、かなりのずれがあったことは事実ですが、海外も含めて実態が広く認識されるにつれて、差は縮小しつつあると思われます。私は被害者目線で、国会に臨んだのです。

私としては極めて自然な心の動きでした。国会での答弁は、弁護士に向けて話すのではなく、現に被害を受けている被害者に向けて話すという気持ちでした。

(事務局)住専問題でも、先生は、1996年に国会に招致をされていらっしゃいます。先生は、住専問題の裏には暴力団が関与しており、暴力団による執行妨害を困難にするために民事執行法の改正が必要であると参考人としておっしゃられる等しました(*7)。どのような想いで発言されたのでしょうか。

*7:バブルで生じた不良債権を住専が買い取りましたが、その不良債権の回収等がなかなか進まず、問題となりました。銀行の貸付等の相手方が犯罪組織であった事案もあり、不良債権の回収時にも暴力団等による妨害が目立ちました。

*8:国会での田中先生の発言についてはこちらの国会議事録26頁参照。

(田中先生)法律論的なことは紙面の都合で省略させて頂きますが、この当時は、日々民暴の現場対応に追われる日々が続くなか様々な法改正、法制定の動きに翻弄されました。まず、何よりも優先されたのは、暴力団対策法でした。発言の際の気持ちは前問でお答えした通りです。世の中全体を見渡して発言するというよりは、個々の目の前の被害者を思い浮かべて話しました。

(事務局)先日、2023年12月14日に、暴力団側からの消滅時効の抗弁を認めないという暴力団のみかじめ料に関する画期的な名古屋高裁判決が確定しました。

暴力団の組長の使用者責任を認める裁判例を勝ち取った後、この消滅時効を認めないとの裁判を勝ち取りました。暴力団は、ますます活動がしにくくなったと思います。匿名・流動型犯罪グループ等の新たな組織犯罪と戦っていく必要があると思います。

(事務局)そのほか、田中先生が暴力団対策で印象に残っているエピソードはございますでしょうか?

(田中先生)いろいろありましたが、やはり、浜松の一力一家事件ですね。この事件で、私は弁護団では若手であったこともあって、いろいろ細かい仕事をさせられました。例えば、住民集会の段取り、住民同士の対立の解消、被害にあった住民の慰めと励ましなども私の仕事でした。浜松までいくらかかったのか、ホテル代がいくらだったのか、計算もしていませんが、全部で2年半ほどかかりましたので、大変な費用がかかりました。

他方、事務所の本来の仕事は、ほとんど放置しており、収入も大幅減少でした。さらに、一力一家事件は無報酬で逆に寄付が必要でした。2人の子を抱えて妻は愚痴の連続でした。事件中は、24時間パトカーの警察官4名の警護が続きました。家の前に、いつもパトカーがいるので、近所の人は、私が何か悪いことをしたのではないかと、噂をしあっていたようです。

一方でこの浜松の地区の住民の方とは、今でもお付き合いがあり、時々親しくお話をさせて頂いています。

(事務局)田中先生は、かなり以前から、フロント企業対策、資金の流れを把握して徹底的に収益のはく奪を図る制度設計(納税者番号制度(*9)、被害者無き犯罪の摘発、課税通報制度(*10)、犯罪収益の没収・追徴)などを提言されていたかと思いますが、現在、暴力団の資金源対策等でいかなる課題があると思われますか。

*9 事務局注:政府が納税者に広く番号を付与し、納税者やその取引機関(勤務先や金融機関)に対し、各種取引を行う際や税務当局への書類提出時に、その番号記載を義務付ける制度をいう

*10 警察活動を通じて把握した暴力団構成員等の合法、非合法を問わないあらゆる収益等について税務当局に通報し、税務当局が課税及び徴収措置をとることによって、暴力団の資金源を封圧することを目的とする制度

(田中先生)我が国の暴力団対策は、特に資金源対策の面が遅れており、不十分であると思います。そもそも我が国の対策は、暴力・脅迫など個々の犯罪行為を摘発することに主眼を置いており、組織的な金の流れを追求し、剥奪する仕組みが不十分だったのです。人を追うよりも金の流れを追うことが、暴力団の活動の実態を明らかにし、全体的な取締を強化することにつながるのですが、これが、我が国の暴力団対策に決定的に欠けていたのです。

日弁連民暴委が1992年にイタリア視察、2003年にアメリカ視察を行い、各地のマフィアの実態と対応を研究してきたのですが、その成果もあって、暴対法や暴力団対策三法などにつながりました。

暴力団対策の最重要な点は、その経済活動規制、すなわち金の流れをどう把握し、個々の犯罪行為にとらわれず経済活動と絡めた暴力団の組織的活動を如何にコントロールしていくかということだと思われます。

今後マネーロンダリング規制はその最重要課題だと考えます。この点、税務署や金融機関等が持っている情報等を捜査機関が有効活用できる仕組みが整備されると日本の組織犯罪対策は大きく変わると思いますし、今後必要になってくると思います。米のRICO法やイタリアのマフィア対策法等は参考になると思いますね。

(事務局)今後は、どういう風に暴力団を含む反社会的勢力と戦っていかないといけないと思っていらっしゃいますか?

(田中先生)これからは、暴力団も激変するでしょう。まず、何を資金源としていくかですが、従前のような、みかじめ料を安定資金源として、麻薬、賭博、恐喝、強盗、窃盗などの明白な違法収入で支えていくことは無理でしょう。まず、みかじめ料ですが、令和5年末に、みかじめ料の返還請求訴訟において、民法の消滅時効間を大幅に超えた事案について、名古屋高等裁判所は時効援用権の濫用であるとして、暴力団側の時効消滅の主張を認めず、被害者の返還請求を認めました。この判決の影響は大きく、今後返還請求が増加するとともに、訴訟提起まで至らなくても、(過去の支払いの返還までは求めなくても)今後の支払いは拒絶する事例が増加することが想定されます。暴力団の財政状態は現在でも相当悪化しており、今後もさらにこの状態が悪化することが想定されます。

他方、特殊詐欺などは大幅に増加しています。「脅しと暴力」から「騙し」の世界に移行しつつあるのです。暴力団員には「騙し」の能力が必ずしも高くないため、組員の従来の活動分野が失われてしまい、組織の維持が難しくなると思われます。特殊詐欺を実行するためには、巧妙な半グレや若者が集められています。

また、AIなどを活用する犯罪についても従来の組員は不適任です。従前組員の役割は無くなり 組織維持が困難となることが予想されます。そこで問題となるのは、不要になった組員の離脱者対策と、若者の闇バイト等の組員でない若者が関与することに対する対策が当面の中心になると思います。

もう一つは、海外の暴力的違法組織と連携しての、海外進出と国内呼び込みが懸念されます。国際政治情勢とも関連しますので、今後、十分な検討を要するところです。若者の入口対策は学校教育など教育機関との連携が必要ですし、海外連携の問題は、国際安全保護機関との交流が不可欠と思われます。

国内での暴力団活動は一見沈静化しているように見えますが、課題は広がり続けています。

(事務局)本研究会にも、参加いただいていますが、本研究会の活動については、どう思っていらっしゃいますでしょうか。また期待されることはございますでしょうか。

(田中先生)本研究会には、参加してから1年弱ですが、マネーロンダリング対策が重要であることは間違いなく、また、参加されるメンバーの方々は、金融部門の専門家の方々なので、大いに期待させていただいています。現在我々民暴委員の視線は、みかじめ料とか、特殊詐欺とか、個々の被害回復に集まっていますが、グローバルな金融システムを利用した犯罪(IT化を含む)や国際的な取引、クロスボーダーに関する犯罪に、我々民暴委員も関心を高めていくことが不可欠であると思います。

(事務局)最後に、このインタビューを読んでいらっしゃる方で、犯罪対策の想いを持っている方々に向けて、何かメッセージはございますでしょうか。

(田中先生)弁護士は、様々の分野に関わっておりますし、マネーロンダリングやIT化の分野に詳しい者も必ずしも多くはないので、今後暴力団が目指す犯済収益の中核と思われるこの分野に、私も、さらに多くの弁護士も、是非加わって勉強をさせていただきたいと思っています。この勉強会が、そうした流れを作って頂ければと願っています。

(事務局)本日はお忙しい中、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。長年にわたるご経験と洞察に基づく貴重なお話に、心より感謝申し上げます。田中清隆先生をはじめとする民暴委員の先生方の支援は、特殊詐欺などの被害者の資産回復に不可欠です。警察・民暴の先生方のご尽力のおかげで社会の機運の高まり、民事不介入の原則が変わった時代と同様の画期的なアプローチが資産回復に求められています。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

〔昭和63年(1988年)撮影の、一力一家訴訟勝訴判決時、愛弁会長室へ、勝訴報告に訪れた時の写真だそうです。左側3名が原告住民代表、愛弁の村橋弁護士、愛弁の会長、住田弁護士、最右が田中先生。〕

〔参考資料〕国会での田中清隆先生の参考人としてのご発言(国会議事録はこちら

○参考人(田中清隆君) 弁護士の田中清隆と申します。  私は、昭和五十年代の初めから今日まで、暴力団などの組織暴力による違法行為の排除と被害の救済、いわゆる民事介入暴力対策ということに取り組んでまいりました。したがって、私といたしましては、統計による数字とかあるいは理論的な問題というよりも、どちらかといえば現場の実感というものを中心にして総論的にお話を申し上げた上で、今回の組織犯罪対策三法についての御意見を申し上げたいと思います。

私たちは弁護士でございますので、捜査官ではございません。したがって、組織暴力対策と申しましても、これは仮処分あるいは訴訟などの民事的な対策が中心であります。しかしながら、実際には刑事問題すれすれの場面あるいは暴力行為や恐喝、脅迫などに実際に直面することも多いわけでございます。相手方はなかなか民事的な対応だけではおさまりませんし、被害者も大変恐怖にとらわれております。そこで、私どもは、刑事面で警察から牽制をしてもらいながら、他方で民事の交渉または裁判の場、法的な場にのせていくという形をとるわけでございます。

この通常の法的な場にのせるというのがみそでありまして、かなりのケースではその前に挫折してしまうことが多いわけでございます。私の個人的な実感といたしましては、仮に十件のこういった相談があるといたしますと、実際に最終的に法的な解決にまでのるのは恐らくそのうちの二件か三件というところではなかろうかと思います。

それはどういう理由かと申しますと、相手方は手なれた犯罪のプロでございまして、証拠書類等を一方的に独占いたしております。被害者の方には証拠書類もなく協力者もいない、また脅迫等によって心身ともに非常に疲れ果てております。お金もなくなっております。戦う体力がないわけでございます。さて、被害者が本当に戦おうとしても、怖さが先に立ってしまいます。警察は本当に守ってくれるのか、弁護士は本当に味方をしてくれるのか、家族は大丈夫かと、あれこれ考えますと、結局気持ちがなえてしまう。私どもはそういった実態を目の前にして切歯扼腕の思いの二十年であったと言っても過言ではございません。

被疑者、被告人につきましてはいわゆる弱者ということで法的保護の対象となっております。しかし、私たちが現実に目前にしております組織暴力、暴力団などの被害者は、むしろこれは被疑者、被告人よりもかえってはるかに弱い存在であります。いつも報復の恐怖におびえながら孤独な戦いを迫られているわけでございます。

犯罪は最も重大な人権侵害でございます。組織犯罪の場合は特にそうでございます。私たちの社会はこの被害者の弱さというものを少し軽視してきた嫌いがあると思います。

最近、ようやく犯罪被害者の救済にも本格的にスタートが切られるようになりましたけれども、組織犯罪の被害者の救済というものは、まずもって迅速な犯罪の摘発と適正な処罰が前提でございます。それも、末端の実行犯だけではなく、背後の大物に及ぶことが必要であります。

犯罪被害者に対するアンケート結果を見ましても、金銭的な賠償よりも、その希望の第一は犯人の検挙と適正な処罰ということになっております。とにかく事件の真相を知りたい、無念の思いを晴らしたいというのが被害者の切実な願いでございます。

また、犯罪による不正な収益が犯罪組織の中に蓄積されたままでは、そして被害者にこれが戻されないままでは、犯罪組織はますます強大となり、一方被害者は実質的に救済されないことになっております。このようなことでは捜査機関への被害の申告も証人などによる捜査への協力も期待できないことになってしまうわけであります。

これまで多くの市民、企業が組織犯罪による被害について泣き寝入りを強いられてきたということは、皆様方恐らく近くにもその実例を御存じだろうと思います。それは多くの場合、組織犯罪は特に犯罪のプロの集団でありまして、その手口も巧妙であり、なかなかその犯罪の実証が難しいということであります。とりわけ、故意であるとか、あるいは目的であるとか通謀であるとかいった主観的な要件につきましては、これは立証が非常に困難でございます。被害者が勇気を持って警察に駆け込んでも、結局なかなか立件されることは少ないわけであります。報復を恐れて目撃証人がなかなか協力してくれないということも現実にあるわけでございます。

こういった主観的要件の立証を焦る余り、一方では、強引な自白の強要などが行われることになります。また他方では、どうせ立件できないという無力感にとらわれる捜査官もいます。また、被害者側では、結局は長いものに巻かれろということになってしまうこともあります。

私たちからこの点に関して見ますと、今回の組織暴力対策三法は、対象犯罪が限定されたとは申しましても大きな期待を持たせるものでございます。  

私自身も、弁護士といたしまして当然制度の乱用の危険というものは常に意識しておりますが、これは私どもも随分と議論をいたしました。その結果、実務の観点からいたしますと、時間がございませんので余り具体的に申せませんが、このレジュメを見ていただきますと、三ページのところにございますが、制度的な担保が用意されております。これらは、私どもから見ますれば、国際的な基準に照らしても制度としては恐らく妥当な内容になっておるものだろうと思います。

(中略)

私どもは、抽象的な乱用のおそれを理由としてこの対策がおくれることは許されないというふうに考えております。ある統計によりますと、覚せい剤の押収量は一日に何と十八万人の人たちが一回使用できる量が日々押収されているというふうに言われております。対策の一日のおくれは、極端に言えば十八万人の覚せい剤を供給させる、このようなことにもなりかねないわけであります。私ども、民主的な社会を望むことは全く同じ気持ちでございます。こういった民主的コントロールの外にある組織暴力、これを私どもの民主的な社会を守るためにもぜひともこの法律によってコントロールしたいというふうに考えておるところでございます。 どうもありがとうございました。

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